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第一に、科学と哲学とのこの対立が、学問の永い歴史の内では、極めて後の時代にぞくする近代的な学問形式に於て、初めて著しく現われて来たものに過ぎない、ということを注意しなければならない。十八―十九世紀に至って、自然科学が隆盛となるにつれ、自然科学的世界観は、或いは一般に自然主義の名の下に、或いは唯物論の名の下に、従来の伝統を形づくっていた学問――哲学――を圧倒しようとする勢を示して来たのは人々の知る通りである。従来の学問即ち従来の哲学=観念論――それは学問一般の典型であった――は終結し、之に代って自然科学乃至一般的に自然科学的学問が時代を支配しなければならぬと思われた(この根本的な潮流は現代に於ても進行を続けている)。処でこのように支配的な学問の形態が、自然科学と呼ばれる或る一つの特殊科学であるのか、或いはそうではなくして一般に自然科学的な学問――それは所謂哲学をも含むことが出来る――であるのか、という問題に就いては、無反省であったことは自然である。自然科学が正に凡ての学問を牽制すべき学問の新しい典型である、その限り一切の学問は自然科学に他ならないと考えられたのは自然である。さてこのような運動に対する反動として――大勢に逆うという意味に於て正に反動であったことを記憶せねばならぬ――自然科学に対する、そして一般に科学に対する批判が、発生したのは必然であった。一面に於て歴史学を自然科学の支配から救い出すために、又他面に於て正に哲学を同じく自然科学の独宰から助け出すために、このことが是非とも必要であったのである。そして特に、新カント主義の名に於て、哲学は、自然科学という特殊科学のアプリオリを検討し、基礎づけ、それによってその妥当の限界を制限し、かくて特殊科学の限界を越えて哲学に代ろうとした自然科学をば形而上学と呼ぶことによって却け、特殊科学としての自然科学の限界の外に自己の領野を保つことに成功したのである。茲に「実証的」科学と「批判的」哲学との調定が成り立った。現代に於ける科学と哲学との区別は実証と批判との区別によって代表される。

女――そう、ではどうぞ。……あなた、今日は御気分はどう。

細木あ、また、バッハが聞えて来ました。

もう客足が斑になつて其処にはすぐ前のストーブの傍のテーブルに一組三人の客がいるばかりであたりがひつそりとして、その店に特有な華かな空気がなくなつていた。哲郎はその静かな何者にもさまたげられない環境に心をのびのびとさして、夢のような心持で宵に聞いた女の話を浮べていた。

「阿呆!貴様のような阿呆のこと、いつまでも覚えてられるか。あはは……」

消費の合理的規整のために、

かくて自然科学と歴史科学とは科学の方法――概念構成――の分類を云い表わすのであった。この分類に基いて同時に又この二つの科学の方法による分類が与えられたのである。さて学問の方法が学問の形式と呼ばれる理由を吾々は前に見ておいた。そこでこの分類は形式的であったのである。処が形式に対応して内容を指摘することが出来るから、形式的分類に対応して、二つの科学はそのまま内容的分類を与えるであろう。この時二つの科学が夫々、自然科学及び文化科学と名づけられるのであった。

第五スタジオの控室で、放送開始時間を待っていると、給仕が、

ウサギノハイツタカゴヲモツテヲリマシタ。

「わたしなりますわ。」きさくに、さつぱりと答へた。

**ロッツェの『応用論理学』は事実、形式論理学的方法論に過ぎない(Lotze-Logik-2Buch参照)。そしてヴィンデルバントはロッツェの論理学に学んだ。

大里診察はすんだんですか。

以上述ぶる所を總括すれば、尚書は最初周公に關する記録が其中心であつたものと想像される。尤も今日の五誥は儒家が持ち傳へている間に各の時代の語を以て古語を取り替へた跡があるのであつて、それは例へば史記が訓詁の詞を以て本文を替へたことが、古文今文の議論を外にしても確かに考へらるゝと同樣である。此等の篇が現存の毛公鼎や其他の金文に比すれば文從字順で讀み易い傾のあるのは即ちそれが爲めであると思う。而して儒家思想の發展に伴ひ、次第に本文に變化を來したのであつて、其の初め魯を王とする説、孔子を素王とする説であつたものが、他の諸子との競爭上、道統を古きことにする必要より典謨の諸篇が附け加へられ、儒家が六國に用いられ、曲學を爲す必要より、甫刑以下の各篇が順次に附加せらるゝに至つたものであらう。此變遷は既に伏生が尚書を世に出す前に於て行はれつゝあつた所で、その間には儒家の傳へた尚書と墨家の傳へた尚書との間に相違ある如く、儒家の間に在りても各分派によりて夫々異つた本文を傳へていたのであるが、それは漢以後伏生の尚書によつて統一された爲めに、他の者は皆形を失つてしまつたのである。これだけの變化のあつたことは、尚書を研究する際、先づ考へて置く必要があらうと思う。

二十一日少し曇り気味の風の吹く日。ミスコーフィールドに電話で歎願して、パリセードに行く。
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